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あの日に寄せて

阪神淡路大震災から、10年の年月が流れた。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

当時のボクは出版社勤めだったが、編集者に似合わず朝は定時前出勤を信条にしていたため、毎朝7時前には家を出て、片道1時間半の通勤をこなしていた。

あの朝、いつものように6時前に床を出て、着替えのかたわらテレビのニュースに目を向けると、そこでは近畿地方で発生した大きな地震が報じられていた。情報は錯綜しているようで、被害の詳細は全く分からず、その時点では、一部で火災が起きているといった程度の報道しかなされていなかった。

続報を待ついとまもなく、いつものように通勤の途についたボクだが、満員電車の中では、なぜだか胸の奥がざわざわと落ち着かない思いにとらわれていた。地震なんて珍しくもないじゃないか。そんなふうに自分に言い聞かせていたことを思い出す。

人影もまばらな会社に着くと、自分のフロアへと駆け上がり、早速職場の片隅に置かれたテレビのスイッチを入れた。そこに映し出された光景は、ボクの甘い想像を打ち砕くものだった。

伸びやかに都市を縫っていた高速道路は無惨に地を這い、海と山との境に広がる神戸の街は、立ち上る炎と煙に包まれていた。その炎と煙の中で、今どれほどの人達が助けを求めているのだろう。

気が付くと、涙が頬をつたっていた。

この地震の1年半前、北海道南西沖で起きた地震は、ちょうど先日のスマトラ沖地震のように、巨大な津波を引き起こし、奥尻島の人達の暮らしをずたずたに引き裂いたが、その報道に接したときにも涙はこぼれなかった。どこかで「対岸の火事」として見ていた自分。

それがこのときは、まったく不意に涙をこぼしていた。

それは、この地震が襲ったのが自分の生まれ故郷だったからだろう。そんな自分の身勝手さを自覚しながら、それでもあふれる涙は止まらなかった。

ひとしきりテレビに見入っていると、オフィスはいつしか出勤してきた同僚や上司のざわめきにあふれていた。そこでボクは、自分のデスクに戻ると、片づけなくてはならない仕事の山に嘆息しつつ、同時にPowerBook180のスリープを解除して、Nifty-Serveにアクセスした。

見慣れたパソコン通信の画面には、いつも通り淡々とテキストが流れていったが、すぐにいつもとは異なる文字列に目がとまった。そこには地震情報掲示板が緊急開設されていたのだ。

そこから先のことはよく覚えていない。

ひたすら自分の仕事をこなす一方、ひっきりなしにPowerBookの画面に目をやっては、実家近辺の情報に目を凝らす。
マスコミは依然として上空からの映像や、裏付けの取れない断片的な被害情報を流し続けていたが、パソコン通信上では、携帯電話を介して接続した現地の会員から、生々しい被害の報告が寄せられていたのだ。

ただひたすら、見慣れた地名を目で追い、近傍の情報を頭の中でコラージュしては、懐かしい街の悲惨な様子を思い描いていた。通信に要する課金が従量制だったこの時代、はじめてネットから離れられない体験をしたのがこのときだろう。

このとき、ボクは新雑誌の創刊準備に携わっていたが、夜も昼も仕事と災害情報の混濁の中にいたような気がする。

自分の家族は両親を含めすでに東京で暮らしていたが、被災地には多くの親類や友人知人がいた。地震発生からおよそ3日後だったろうか、親類の多くとは連絡が取れ、人的被害のないことが確認された。建物の被害も軽微だったようだが、ごく近所には全壊した家屋もあり、これは幸運以外の何物でもなかったろう。とにもかくにも安堵を覚えながら、それでも知人のご家族の訃報が伝えられるなど、胸のざわめきは、しばらくの間静まることがなかった。

仕事の合間を見つけて、ようやく現地を訪れることができたのは、地震からおよそ3カ月の経った春のこと。その爪痕は生々しく街に刻まれ、まるで怪獣映画の中で見た光景のように、自衛隊、警察などが慌ただしく行き交っていた。伯母の運転する車で迂回に次ぐ迂回を余儀なくされながらその街を走り、また、代替バスを乗り継ぎながら、寸断された鉄道に沿って被災地をこの目で見たことを覚えている。

その伯母も今は亡く、あれほどに痛めつけられた街は、一見そうと分からないほどに美しく再建された。確かに10年の月日が流れたのだ。

しかし、地震が奪った多くのものは戻らないし、また、地震が変えたものは、良くも悪くも「今」に刻まれている。

ボクは、この地震の年の夏、出版社を離れてコンピュータやネットワークを仕事に選んだ。生まれたばかりの新雑誌を仲間たちに押しつけての転職は実に身勝手で、今でも申し訳ない気持ちになる。けれども、このときの自分はそう歩まざるを得なかった。

それまでは単に機械と向き合っているつもりだったコンピュータとのつながりが、ネットワークを介した人とのつながりなのだと知らされた震災の日。

あの日を境に変わった自分の歩みを誰かのために役立てたい。そう再確認するのが、ボクにとっての1.17だ。

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コメント

こんにちは。たまたま読ませてもらったのですが、私は、ブログでドキュメントを書いているのですが、本とか出来ないものかな と思っていますが、自費出版じゃないと無理なのかな?
時々寄ります。宜しくお願いします。

投稿: 池辺紘一郎 | 2005/01/21 15:24

>池辺さん
ようこそ。はじめまして。(^^)
留学体験を素材にしたドキュメントを書かれているんですね。なるほど。

本を出したいってお話ですが、少なくとも座して待っているだけでは本にはなりませんよね。

出版社に自主的に売り込むとか、まずはブログを媒体に使うのであれば、その方面で徹底的に多くの読み手を獲得する工夫をされるとか(その延長線上に、ひょっとしたら『電車男』みたいなチャンスがあるかもしれないですよね)、いずれにせよ何らかのアクションなしにチャンスは降ってわいては来ないと思います。偉そうに言ってすみませんが、励ましと思ってもらえれば幸いです。

このエントリーにコメントをいただけたあたりで、池辺さんのシリアスさが分かる気がするんですが、実のところ僕自身は非常に脱力系の人間でして、このブログでこういうマジメなエントリーが載るのは1年に数回あるかないかですので、あんまり期待しないでくださいね。(^^;)

投稿: 単二 | 2005/01/21 23:57

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