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おぼえがき

xlrtank
年度末を前になんだかドタバタしてて忙しい。
心を亡くすとブログもお留守になりがちだよね。

というわけでいくつか自分のためにおぼえがき。
 
 
 
 
 
●ベリーサの燃費がついに8km/lを割った。イカンぞこれは。
 自分の運転の見直しとアーシングの見直しを宿題にしよう。

MD16のエンジンについて、モトショップストラーダさんに相談。
 メールじゃ分からんともっともな返事。早めにお店を訪ねよう。

●確定申告の準備。毎年イヤになるけど。。。

●スカラベオのドーピング(謎)は走行3000km〜4000km時点をメドに考えよう。

●昨年分の撮影データDVDをディスクスタッカに登録。急げ。
 ついでに併行保存用の大容量HDDの購入を検討する。

●来年度の予算と什器備品購入の検討。新パワーブック出るかなぁ。。。

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やってきましたMD16

というわけで、とうとうわが家にやってきましたMD16。またの名をXLR250RF。
XLRの名前はこのバイクから始まったわけだが、これ以降、もともと並行開発されていたエンデューロレーサーXRと共通の名前に変更されるまで、実に10年に渡るロングセラーシリーズとなったXLRの源流がここにある。

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ま、能書きはいいよね。それにしても見てよこの美しさ!
これが20年前のバイクだなんて信じられる?
 
 
 
 
 
 
 
 
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真っ赤に燃える火の玉エンジンもキレイ。
87年にモデルチェンジを受けて以降のXLRや後継車のXRとは、実はボア・ストロークが違っていて、こちらは微妙に高回転型。オフロードばっかり走るならともかく、ツーリングも含めた日常使用には、こっちの特性の方が有り難いと感じるオイラである。
 
 
 

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走行距離は驚異の4200km! 年間に直しても200キロそこそこ。前のオーナーさんってどんな人だったんだろ。。。(^^;)

バイクを受け取っての帰り道、いつも立ち寄る近所のガス屋でオヤジさんが
「お、キレイに乗ってるねぇ。20年前くらいのだろ?これ」
おいおいオヤジさん、いきなり20年前までバッチリ的中とは一体何者なんだ〜!
前々からタダモノじゃないと思ってたけど、あのオヤジさんとは一度ゆっくりバイク談義をせねばなるまい。師匠と呼ばなきゃならなくなったりして(爆)

バイクの調子はおおむね快調だけど、さすがに20年モノだけあって、見た目より細部は結構くたびれている実感あり。少しずつでも手を入れて、記憶の中の調子に近づけてやりたいな。記憶は美化されるっていうから、あくまでほどほどにね(笑)

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西日本周遊ツーリング4

阿蘇から山口までは、ひたすら先を急ぐ走り。
関門橋を渡って山口県に入ると、ようやく少し余裕が出てきて、はじめて秋芳洞に立ち寄ってみたり。

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そうそう、当時は詩が好きだった(恥ずかし〜)こともあって、中原中也の墓所に立ち寄ってもみたっけ.。
 
 
 

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山口での宿は、大学時代の友人(つっても当時は大学生だから、リアルタイムに同級生だったわけだが)のご実家。なんと平安時代の古文書にもその名が見えるという由緒正しき神社なのだ。
翌日は友人のクルマで萩・津和野見物としゃれ込んだ。都合2泊。お世話になりました。

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そしていよいよ、東京へ向けて出発。日本海岸の国道を東へとひた走る……わけでもなく、出雲大社を見物したり
 
 

 
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鳥取砂丘でたそがれている間にあっというまに日が傾いてしまった。
 
 
 
 

 
ここから山間部をぬって京都を目指す。京都駅くらい大きな駅なら、軒先で野宿もできるだろうと思ってのことだったが、なんとこの日の京都駅は、国鉄民営化を前にした記念切符の発売前夜だったとのことで、駅中鉄分120%な人々が行列で発売待ちという地獄絵。(^^;)

早々に退散して、一気に東京を目指すことにしてしまった(無謀)。

京都東インターから名神高速へと入るが、すでに山口を出てから500kmほどの走行を経て、カラダはへとへと。走行中何度も意識が遠のく。気が付くと目の前がコーナー! そんな体験は数知れず。。。
これはアブナイと思い、浜名湖 SA にて小休止。30分ほどの仮眠で元気を回復する。

で、走行再開。明け方には富士山が見えるところまでやってきた。
ここで、よせばいいのに富士インターから下道へ。急に富士山に寄り道したくなってしまったのだ。
国道139号で本栖湖を目指す。いや〜、やっぱり富士山はいいね!
湖畔で軽く朝食をと思いエンジンを切り、店を開けたばかりの食堂に入る。
温かい食事に人心地ついてバイクのところへ戻ると、観光バスが到着し始める時間になっていた。
「こっちはもう帰るもんね〜♪」とばかりにキックペダルを踏み下ろす……が。

エンジンがウンともスンとも言わない。うおっ。ここまで来て故障か?
どうやら前日の朝からぶっ通しの連続走行がたたって、いわゆる熱ダレってやつを起こしたようだ。

「兄ちゃん、大丈夫かい?」
観光客のおじさんたちの同情と好気の目にさらされながらも、こうなってはマシンを休ませてやるしかないようだ。
仕方なく缶コーヒーを片手に湖畔でぼーっとする。

いや、よく走ったよなぁ。24時間で1000kmくらい走っちゃったよ。
これじゃエンジンも駄々こねるわけだ。

さらに小一時間の小休止の後、ようやくエンジン始動。
熱ダレは完全には解消されず、坂道を上るペースは原付なみしか出ないが、まぁこれは「キノボリキノボリ」(謎)という神のお告げなんだろうと思うことにして、のんびりゆったり東京を目指す。
八王子の自宅についたのはこの日の午後2時くらいだったと思う。

お疲れさま。XLR。いい旅をありがとう。

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西日本周遊ツーリング3

ちょっと中断しましたが、ツーレポ再開〜♪

親切なサイクリング部員さんの好意で、氷雨の夜も楽しく乗り切ったわけだけど、目覚めてみると雨は無情にも降り続いていた。雨脚もなかなか元気だったり(涙)。

ラジオで天気予報を聞いてみると、どうも向こう数日間は雨模様の天気が続きそうだとのこと。おいおい、こっちはあと数日で東京に帰らなくちゃならないんだよ。頼むよ〜(誰にだ)。

そんなわけで、四国エンジョイ計画は断念して、やむなく旅の先を急ぐことにした。

サイクル君(勝手に命名)は、雨を避けるために自転車を輪行(折りたたんで携帯)して、仲間との合流ポイントに向かうってことで、ここでお別れ。ホントに助かりました!

さて、こっちはバイクごと電車に乗れるわけもなく、雨ニモ負ケズ頑張るしかない。四万十川沿いの国道を西北へと向かう。ホントは絶景が楽しめるルートなんだろうけど、この日は豪雨との戦いで正直それどころじゃなかったなぁ。。。

走ること数時間で佐多岬半島八幡浜港に到着。ここからフェリーで九州は大分へ渡るのだ。四国はホントに通過するだけになっちゃって実に残念だけど、仕方ないよね。

船の中ではひたすら九州での天気回復を祈るも、空しく終わる。大分臼杵港に着くと九州上陸の感動もそこそこに「ここだけは行かねば!」と思っていた阿蘇を目指して激走する。雨脚は更に強まる気配だ。

阿蘇外輪山を越え、カルデラの雄大な光景を目にした時には、すでに夕闇が迫っていた。これじゃ寝袋だけの野宿はかなり厳しそうだ。

電話ボックスに飛び込んで宿探し。インターネットがあったらよかったんだけどね〜(苦笑)。

いくつかの宿にあたってみるも不発。すがる思いで阿蘇ユースホステルに電話をすると……

「残念ですが満室なんですよ……」
「あぁ〜。そうですか……(哀)」
「でもお困りですよねぇ。ちょっと待っててもらえますか?……ごにょごにょごにょ……(なにやら相談する声)」
「それじゃ、スタッフが使ってる部屋に相部屋でもよければおいでください」
「え! 本当ですか? 助かります〜」

そんなわけで、前日に続いて人の情けが身に染みる夜。今にして思うと、この雨のおかげで結構いろんな出会いがあったような気もするな。

ユースに駆け込むと、同じように雨を逃れてきたライダーがうようよ。みんな困ってたのね。(^^;)
この日はユースの風呂が故障してて、近くの宿までぞろぞろ行列でお風呂を借りに行った。さらに夜にはユース食堂でのお約束の集会(?)に参加。これもまた楽し、だ。

翌朝、ようやく雨はあがっている。朝食は取らずに宿を後にした。今日は山口県の友人宅まで行くことにしていたのだ。せっかく阿蘇に来たんだから、その風景をちょっとでも味わいたいと思っての早朝出発というわけ。

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初めての阿蘇は本当に雄大だった。
 
 
 
 
 
 
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草千里はガスで見えず、
 
 
 
 
 
 
 
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火口には火山ガス噴出のため近づけなかったけれど、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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こんなお約束のポイントで写真も撮れたしね。
 
 
 
 
 
走るだけで痛快な気分になれる、ライダーの天国みたいなところだったなぁ。
ひとしきり阿蘇を自分の中に焼き付けると、一路山口を目指す。さぁ飛ばすぞ〜!(続く)

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と〜ても〜ブル〜ぅぅ♪

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なんて清々しいブルー!
そして、心洗われるようなホワイト!

ええそうです。捕まっちゃいました。
初めてのネズミ捕り。初体験なの。うふ♪(←壊れてます)

いやーやられちゃいましたよ。参ったねこりゃ。

ところは川崎市某所。交差点のすぐ先で、片側二車線が一車線に合流する強引な作りの道路。

信号の変わりっぱなに、前走する乗用車と原付をかわして合流車線へ!と思った瞬間
「は〜い。停まって停まってぇ〜♪」とお巡りさんが目の前に飛び出しておいでになった。

「え”? え”?」

瞬間、状況が理解できないオイラ。何これ? これがネズミ捕りなん?
おいらホモサピエンスなのに? ねぇ? 何でこんな目に?

傾いた西日がほぼ正面から視野を狭めていたので、お巡りさんの発見が遅れたのが敗因だな。

この道路、40km/h制限だそうで、66km/hという高速(!)を記録したオイラは、見事26km/hオーバーでキレイなブルーのお札をちょうだいしました。わーい♪

反則金は15,000円ナリ。減点は3。

「あと4km/h出てたら免停でしたよ〜。気をつけてね〜」
あくまで朗らかなお巡りさん。

アンタが1km/h大目に見てくれてれば減点は2だったろつーの。
ま、すべては自分の不覚。昨日ガラにもなく偉そうなこと書いたせいかなぁ。

というわけで年度末の警察ノルマ消化月間がスタートしているようです。
皆さんも気をつけて!(T-T)/~

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あの日に寄せて

阪神淡路大震災から、10年の年月が流れた。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

当時のボクは出版社勤めだったが、編集者に似合わず朝は定時前出勤を信条にしていたため、毎朝7時前には家を出て、片道1時間半の通勤をこなしていた。

あの朝、いつものように6時前に床を出て、着替えのかたわらテレビのニュースに目を向けると、そこでは近畿地方で発生した大きな地震が報じられていた。情報は錯綜しているようで、被害の詳細は全く分からず、その時点では、一部で火災が起きているといった程度の報道しかなされていなかった。

続報を待ついとまもなく、いつものように通勤の途についたボクだが、満員電車の中では、なぜだか胸の奥がざわざわと落ち着かない思いにとらわれていた。地震なんて珍しくもないじゃないか。そんなふうに自分に言い聞かせていたことを思い出す。

人影もまばらな会社に着くと、自分のフロアへと駆け上がり、早速職場の片隅に置かれたテレビのスイッチを入れた。そこに映し出された光景は、ボクの甘い想像を打ち砕くものだった。

伸びやかに都市を縫っていた高速道路は無惨に地を這い、海と山との境に広がる神戸の街は、立ち上る炎と煙に包まれていた。その炎と煙の中で、今どれほどの人達が助けを求めているのだろう。

気が付くと、涙が頬をつたっていた。

この地震の1年半前、北海道南西沖で起きた地震は、ちょうど先日のスマトラ沖地震のように、巨大な津波を引き起こし、奥尻島の人達の暮らしをずたずたに引き裂いたが、その報道に接したときにも涙はこぼれなかった。どこかで「対岸の火事」として見ていた自分。

それがこのときは、まったく不意に涙をこぼしていた。

それは、この地震が襲ったのが自分の生まれ故郷だったからだろう。そんな自分の身勝手さを自覚しながら、それでもあふれる涙は止まらなかった。

ひとしきりテレビに見入っていると、オフィスはいつしか出勤してきた同僚や上司のざわめきにあふれていた。そこでボクは、自分のデスクに戻ると、片づけなくてはならない仕事の山に嘆息しつつ、同時にPowerBook180のスリープを解除して、Nifty-Serveにアクセスした。

見慣れたパソコン通信の画面には、いつも通り淡々とテキストが流れていったが、すぐにいつもとは異なる文字列に目がとまった。そこには地震情報掲示板が緊急開設されていたのだ。

そこから先のことはよく覚えていない。

ひたすら自分の仕事をこなす一方、ひっきりなしにPowerBookの画面に目をやっては、実家近辺の情報に目を凝らす。
マスコミは依然として上空からの映像や、裏付けの取れない断片的な被害情報を流し続けていたが、パソコン通信上では、携帯電話を介して接続した現地の会員から、生々しい被害の報告が寄せられていたのだ。

ただひたすら、見慣れた地名を目で追い、近傍の情報を頭の中でコラージュしては、懐かしい街の悲惨な様子を思い描いていた。通信に要する課金が従量制だったこの時代、はじめてネットから離れられない体験をしたのがこのときだろう。

このとき、ボクは新雑誌の創刊準備に携わっていたが、夜も昼も仕事と災害情報の混濁の中にいたような気がする。

自分の家族は両親を含めすでに東京で暮らしていたが、被災地には多くの親類や友人知人がいた。地震発生からおよそ3日後だったろうか、親類の多くとは連絡が取れ、人的被害のないことが確認された。建物の被害も軽微だったようだが、ごく近所には全壊した家屋もあり、これは幸運以外の何物でもなかったろう。とにもかくにも安堵を覚えながら、それでも知人のご家族の訃報が伝えられるなど、胸のざわめきは、しばらくの間静まることがなかった。

仕事の合間を見つけて、ようやく現地を訪れることができたのは、地震からおよそ3カ月の経った春のこと。その爪痕は生々しく街に刻まれ、まるで怪獣映画の中で見た光景のように、自衛隊、警察などが慌ただしく行き交っていた。伯母の運転する車で迂回に次ぐ迂回を余儀なくされながらその街を走り、また、代替バスを乗り継ぎながら、寸断された鉄道に沿って被災地をこの目で見たことを覚えている。

その伯母も今は亡く、あれほどに痛めつけられた街は、一見そうと分からないほどに美しく再建された。確かに10年の月日が流れたのだ。

しかし、地震が奪った多くのものは戻らないし、また、地震が変えたものは、良くも悪くも「今」に刻まれている。

ボクは、この地震の年の夏、出版社を離れてコンピュータやネットワークを仕事に選んだ。生まれたばかりの新雑誌を仲間たちに押しつけての転職は実に身勝手で、今でも申し訳ない気持ちになる。けれども、このときの自分はそう歩まざるを得なかった。

それまでは単に機械と向き合っているつもりだったコンピュータとのつながりが、ネットワークを介した人とのつながりなのだと知らされた震災の日。

あの日を境に変わった自分の歩みを誰かのために役立てたい。そう再確認するのが、ボクにとっての1.17だ。

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西日本周遊ツーリング2

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好天の那智勝浦港に、さんんふらわあ号が接岸。
このフェリーは東京を出航し、この勝浦を経由して高知県へと向かう船だ。
当時は週に1往復が就航していたと思う。

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この勝浦では何台かの乗用車が降りていったものの、乗船するのはわがXLRと数人の乗客のみ。
半日ほどの航海で高知へ上陸だ。

高知港は穏やかに凪いで、四国でのツーリングの前途は洋々に思えたのだが……。

高知上陸後、最初に度肝を抜かれたのは、前走する冷蔵トラックの荷台左右下部から垂れ下がったホースから、赤黒い液体がドバドバ路面に流れ落ちていたこと。どうやら積み荷の魚の血だのなんだのだったんだろうけど、いかにも脂ギッシュで、バイクにとっては即転倒につながりそうな恐怖の液体に見えた。通常の3倍(笑)以上の車間を取りつつ、おそるおそる後を付いて走った覚えがある。

そうこうしているうちに迫る夕闇。この日は中村市付近で野宿場所を探そうと思っていたのだが、夕闇と一緒にやってきた分厚い雲からは、やがて強い雨が降り始めた。また雨かよ。(T-T)

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というわけで、国鉄(当時はまだ国鉄だったんよ)中村駅前のベンチで休息しつつ途方に暮れていると、荷物満載のサイクリング車(死語?)でやってきた青年が声をかけてきた。

「ツーリングですか? 今日はどこに泊まり?」
「うん……この雨だから悩んでたとこ。寝袋しかないから、駅の軒下で寝ようかな〜と」
「そうなんだ。じゃ、一緒に寝ませんか?」
「え”っ!!!!」
「あ、いや、僕のテント(注:誤解しないように!)4人用でデカイんで。余裕ありますから」

というわけで、この日はこの方のお言葉に甘えることに。聞けばこの人、法政大学(だったと思う)のサイクリング部の人であり、このときは仲間より一足先に四国入りして、メンバーの到着を待っていたということらしい。それゆえ装備にも余裕があったらしいんだな。あードキドキした(爆)

思い返すと名前さえまともに名乗り合わなかったわれわれ2人だが、なぜだか意気投合しつつ、テントの中ではさきイカとビールで乾杯。冷たい雨にもかかわらず安眠できたのはホントにハッピーだった。

駅ってところは、飲料水やトイレにも困らず、実にありがたい野営場所なんだけど、駅員さんや利用者の人のお目こぼしがあってはじめて使わせてもらえる場所でもある。今ではそうしたおおらかさも減ってきて、問答無用で追い出されちゃうこともあるが、それはそれ、そういうときはおとなしく退散することにしている。

さて、朝には晴れるといいんだがなぁ……(さらに続く)

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西日本周遊ツーリング1

はじめてのロングツーリングと呼べそうなのがこの旅。
夜7時に東京を出発して、国道246、そして国道1号をひたすら西へ。名古屋を過ぎてから南下して、津、松阪と経由して南紀を目指す。
自分のロングツーリングのスタイルは、これ以降ずーっとこんな感じだった。
とにかく夜に距離を稼ぐ。朝には目的地に可能な限り近づいて、初日はそのまま夜まで走りまくる。
若くなきゃできないモーレツさだね。

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そんな無茶は今ではもう無理だと思うんだけど、未だに変わらないのがこれ。お天気運の悪さだ。ロングツーリングっていうと、とにかく初日は雨に見舞われる。
確率は……イチローの打率より高いことだけは確かだろう。
当時は今ほどコンビニも多くなく、夜中の国道は「なんで俺、こんなとこ走ってんだろうなぁ……」と思わせるに十分な寂しさだ。

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だけれどそんな気の迷いも日が昇るまでの話。
辺りが見渡せるようになる頃には、これから先の旅の組み立ててで頭がいっぱいになっている。
これは多分、熊野辺りの海岸線かな。
ようやく雨脚も弱まってきた。お楽しみはこれからだ。

そうそう、この度に先立って、このバイクには当時珍しかったカウリングを装着した。町田にあったFRP加工屋さん(名前失念)製のオリジナル。MBX50のウインドシールドがうまく流用され、ジャストフィットしててカッコイイ!(自画自賛)

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このカウル、防風効果もなかなかで、長距離走行の疲れを確実に減らしてくれた。
同じパーツをつけたXLRには、お目にかかったことなかったなぁ。。。

そんなXLRと熊野川沿いで一息。
この辺りは絶景と、キャンプ心をそそるナイスな河原が続くんだけど、国立公園内につきキャンプ場以外でのキャンプは禁止。残念!

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那智勝浦に近づくと、あまりの海の雄大さに、ついついガラにもなく『彼のオートバイ彼女の島』ごっことか始めたくなったりして。

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今や世界遺産へとのぼりつめた熊野古道にもガシガシ踏み込もうとする極悪ぶり。ごめんなさい。(T-T)
このときは太地に2泊。熊野・勝浦・太地付近を満喫して、その後はいよいよ四国へGOだ(続く)

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と、止まらね〜(^^;)

昨年の大型二輪免許取得に端を発したバイク熱が、ますます悪化中。(^^;)

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これは20年前、中型二輪免許を取ってから初めて買ったバイク『ホンダXLR250RF』(形式名MD16)で、最初に出掛けた房総1泊ツーリング中の写真。後にくくりつけた余りにもフツーっぽいバッグが泣かせる。

いわゆるオフロードバイクという類のヤツだが、図体のデカイ自分としては、軽い・デカイ・安いという三拍子揃ったこのバイクは理想の相棒だったのだ。レーサーばりにコンパクトでハイパワーな「レーサーレプリカ」バイクが幅を利かせ始めていたこの頃、250ccバイクの値段もうなぎ上りに上昇し、50万円前後のモデルも珍しくなかったが、このXLRは標準価格で35万円そこそこ。燃費もカタログデータならぬ実走で軽々30km/lをマーク(ツーリングでは40km/l近い数字も)するなど、懐に優しいことこの上ないバイクだった。

で、実は先日、ネットを徘徊してたら、このバイクの「極上中古車」を発見してしまったんである。
走行距離は4182km。しかもその外観はピッカピカ! 自分が乗っていた当時よりキレイなくらいで目が点に。(‥;)

現在の愛車は大型スポーツツアラー(って言っちゃっていいのかな)TDM850と、イタリー製中型スクーター・スカラベオ200の2台だけど、どちらも、もともと大好きだった林道走りに向いているとは言い難いシロモノ。ま、そんな能書き以前に、この、昔と変わらぬ姿の初恋の相手に出会った瞬間、もう「やられちゃってた」わけで、気が付けば店頭に駆けつけ、内金を支払い終えていたという次第。許せ妻よ。

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そんなわけで、納車までの数回にわたって、当時の相棒とのツーリングの思い出について書ければいいなと思ってる。大学生だった当時はホントに貧相な体格と懐具合をしていたもんだが、それ以上にトホホなずっこけライダーでもあった。自分とバイクに向けてカメラのセルフタイマーをセットしても「あれ? シャッター切れねぇなぁ」とか立ち上がっちまってこんな始末(トリミングではありません(^^;))。

せっかく再燃したバイク熱なんだから、目を三角にして爆走するんじゃなくて、当時みたいに腹の底から楽しみながらマイペースで走りたい。そのためにも、当時の自分のズッコケぶりを振り返っておくのもいいかな、ってわけでの思い付き。さて、どうなることやら。。。

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梅の香ショートラン

三連休の中日、あまりにもいい天気に誘われて、TDMでほんの半日ショートランに出掛けた。
同行車がないのはもちろん、珍しくタンデムシートも空席の、本当のソロ走りだ。

横浜から市ヶ尾、柿生と抜けて多摩ニュータウンへ。
通称尾根幹と呼ばれる道路を西へ向かうと、遠く丹沢の山々や富士の峰が雪に縁取られて美しく、ついつい見惚れてしまう。

町田街道を経由して、城山湖方面一歩手前で相模川沿いのルートに入る。
凧揚げやラジコン飛行機に興じる人たち、釣り大会とおぼしき賑わい、手作りのコースで走行練習に励むオフロードバイクたちなど、河原では思い思いに楽しんでいる人たちを横目に走る。

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するとどこからか梅の香が。ペースを落としてヘルメットのシールドを上げると、左手に紅白の花をつけはじめている梅林が見えてきた。思わず道をそれて一休み。

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もちろんまだまだ見頃には間があるものの、あたりに漂う梅の香は、やがて来る春を待ちきれないといった風情だ。

再び川沿いのコースに戻り、下流へとひた走る。海まで出てしまいたい気持ちはやまやまだが、湘南の海沿いは慢性的な渋滞コースでもあり、ここはちょいと手前で横浜方面へと向きを変えよう、と思っていた矢先、厚木近くの河原で、どんど焼きの準備に出くわした。

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青空をさして伸びる竹の先にはダルマがいくつも提げられ、それがまるで赤い木の実のように見える。
近くのテントでは、近隣の人たちが自宅から持ち寄った門松や注連飾りの受け付けをしているようだ。

そういえば、ウチの玄関、まだ正月飾りを付けたままだっけ。
軽く屈伸運動をした後、またTDMにまたがって自宅を目指す。帰ったら正月飾りを外さなくちゃね。

途中、黄色いTDMとすれ違う。
威勢のいい音をさせていたところをみると、どうやらマフラーを換えてるんだな。
ウチはあくまでジェントルに行こう(笑)。

出発からほんの3時間、距離にして150kmほどのソロショートラン。
午後は気持ちを切り替えて仕事だ。このブログ記事を書き終わったらね。(^^;)

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クリプーとお年玉のあいだ(どこぞの小説風)

というわけで先日のお年玉記事の際ににおわせてあった件。

実はこんなもんを装着しました。

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クルマ、バイク問わず流行のLEDテールランプです。
左は通常時で、右はブレーキランプ点灯時。
写真からは分かりにくいんだけど、LED40連発で、ブレーキング時はメチャ明るい。
後続車が幻惑されて事故ったりして(爆)

もちろんマイナー車であるTDMに専用品なんてあるはずもないし、自分の不器用さ(というより無精さか?)で作るのは無理なんで、こちらのお店にお願いしました。

※達人の域に達すると、こちらのページの方のように、自分でガシガシ作ってしまわれます。すげ〜。

制作中に走れないのは困るんで、このLEDランプ製作用に、TDMのテールランプASSYはヤフオクで800円にて入手。というよりも、ヤフオクでこんなものが手に入っちゃったので、ついついこんなことに手を出しちゃったというのが正しいな。(^^;)

構造的にはこんな具合。さすがプロの仕事って感じです。

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標準状態の白熱電球×2だとなんと60Wもあった消費電力が、LED化すると数Wに。
やっぱ時代は省エネよね(笑)

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冬でも食欲

ベリーサの燃費報告第4弾。

年末は高速道路中心のドライブになったものの、例の雪騒動とか、事故渋滞にはまったりとかで、市街地走行と大きく変わらない結果に。

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うーん。ホントにアーシングの見直しが必要かな。

ところで、1400km走行時に受けた初回点検以来、約5000kmを走ったところで6カ月点検のタイミングがやってきた。で、点検ついでにオイル&フィルター交換を実施。

いろいろ考えた結果、初回車検までの定期点検とオイル&フィルター交換が全部込みになったディーラーのサービス『パックdeメンテ』に入ることにした。オイル交換はいろんな銘柄を楽しみたかったんだけど、それ以外の定期点検って、マジメに受けるとその都度結構お金取られるんだよね。

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オイル交換5回分とフィルター交換2回分。点検費用4〜5回分と思えば、約3万6千円っていう値付けはヒジョーに絶妙(メチャ安くないけど高くはない)なところだろう。こういうのに入っちゃう自分がオジサンに思えてくる今日この頃……。

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ふと思ったんだけど

TDMのフロントフェンダーに映り込んだ自車のフロントカウルって、

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……結構カワイく見えない?

なんか無邪気にバンザイしてるとゆーか。(^^;)

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お年玉

ベリーサネタが続いたので、今日はTDMについて書こうかな。

年末に、こいつへクリスマスプレゼントをしたことについては既報のとおり。
で、今回はお年玉というわけだ。

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以前、ネジ脱落事件について書いたスクリーン(風防ですな)を、社外品の、ちょっと背の高いのに変更。図体のデカイ乗り手としては、防風効果の高まりに期待しての交換だ。

TDM用の社外スクリーンというと、うちでもトップケース(トランク)を使ってるGIVI製のものが一番人気なんだけど、そこは天の邪鬼な性格なので、あえてMRAというブランドのものを選んでみた。

デザイン的にはGIVIよりさりげなくて好みだけど、効果も小さめなんだろうな。

また、上部が反ったデザインなので、ちょっと視界のゆがみも気になるところ。伏せて前方をのぞき込むことは少ないと思うんでいいんだけど。このスクリーンは純正品と違って、下半分が完全にブラックアウトされているので、いずれにしてものぞき込み用途(なんじゃそりゃ)には向かないだろう。

ワンポイントドレスアップとして、ヤマハの音叉マークをペタリ。純正だとここにヤマハのロゴが入ってるんだけど、このマークの方が好きだし、何より社外品があたかも純正っぽく見えるから自分的にはお気に入りだ。

実はクリスマスプレゼントからこのお年玉までに間に、もう1点このバイクには手が加わっているんだけど、それについてはまたの機会に書こう。

今日はかるーく30kmばかりお散歩。今年はガンガン走るぞ〜!

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謹賀新年

昨年末は、北陸へと小旅行。もちろんベリーサが一緒だ。
久々に訪れた北陸は思いのほか暖かくて、初雪に見舞われた都心より気温は上。
山々の雪もほんのわずかしか見えなくて、ちょっと拍子抜け。

だが、本番はその帰途にやってきた。

全国各地で冬の嵐が吹き荒れた大晦日、ベリーサは北陸道→上信越道→中央道という経路で自宅を目指す。
北陸道の走りは平穏そのものだったが、上信越道を山間部に分け入ってから、あたりの様相は一変した。

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これは妙高高原での一コマ。このあたり、背景はともかく、ベリーサはまだまだキレイなんだけど……。

松本平に入ると渋滞がひどくなってきて、一般道へとエスケープ。高速に戻るタイミングを探っている間に、なんと高速が通行止めに。なにしろ路上でスタックしたり、向きが変わっちゃったり、側壁にめり込んでるクルマは数知れずだったからなぁ。。。

とかいってるうちに、ベリーサもこんな具合に。

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いやはや。それにしても装着したばかりのスタッドレスは実に頼りになった。雪をなめてる都会のクルマたちを尻目に、快走また快走。小淵沢からは中央道へと復帰して、いくつかの渋滞には遭遇するものの、ノートラブルで年内帰宅に成功。ホントにお疲れさまでした>ベリーサ&うちの嫁

年明けからお粗末な記事でしたけど、今年もよろしくお願いします。m(__)m

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